神戸地方裁判所 平成11年(ワ)102号 判決 2000年1月20日
原告
中網阜沙子
被告
吉田真吾
主文
一 被告は、原告に対し、金四〇四七万二〇八三円及びこれに対する平成八年八月一三日から支払済みまで、年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その余を被告の、各負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の求めた裁判
被告は原告に対し、金七八四二万五五五〇円及びこれに対する平成八年八月一三日から支払済みまで、年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
原告は、後記の交通事故(以下「本件事故」という。)により損害を被ったとして、相手方原動機付自転車の運転者である被告に損害の賠償を求める。附帯金は、事故の当日からの民法所定年五分の割合による遅延損害金である。
一 前提となる事実(証拠を掲げた事実のほかは争いがない。)
1 交通事故の発生
(一) 発生日時 平成八年八月一三日午前七時一五分頃
(二) 発生場所 神戸市東灘区深江本町四丁目一番先路上
(三) 加害車 原動機付自転車(神戸灘な九八一九号)
(四) 被害車 自転車
(五) 事故の態様
被告は加害車を運転し、東方から西方に向けて時速三五キロメートルで進行し、折柄、対向東進してきた原告運転の被害車に加害車前部を衝突させ転倒させた。
2 責任原因
被告は、加害車を運転し、進行するにあたり、運転中は進路前方及び左右を注視し、進路の安全を確認すべき義務があるのに、これを怠り、段差のはずみでうつむき、前方注視を欠いたまま漫然と時速三五キロメートルで進行した過失により本件事故を引き起こしたのであるから、民法七〇九条により原告に生じた損害を賠償する責任がある。
3 原告の負傷と治療経過、後遺障害認定
(一) 原告は頭部外傷第Ⅳ型後遺症、脳挫傷、左急性硬膜下血腫、右急性硬膜外血腫等の傷害を負った。
(二) 原告は、次のとおり治療を受けた((4)につき甲二〇。なお、これについては症状固定後の治療であるとして、因果関係につき争いがある。)。
(1) 神戸市立中央市民病院 平成八年八月一三日から同年一二月一一日まで入院(一二一日)。入院時には、深昏睡、両側瞳孔放大、呼吸停止状態にあり、同日、左右前頭、頭頂、後頭の開頭と硬膜下(右側硬膜外)血腫除去術を受けた。
(2) 神戸リハビリテーション病院に平成八年一二月一一日から同九年三月一四日まで入院(九四日)
(3) 医療法人協和会協立温泉病院に平成九年三月一四日から同一〇年三月三日まで入院(三五五日)。主要な症状は、両四肢不全麻痺、言語障害、精神機能低下、発動性低下であり、リハビリ、PT、OT、STを施行。
(4) 医療法人恒昭会藍野花園病院(以下「藍野病院」という。)に、平成一〇年三月三日以降入院中。
自覚症状は、左上下肢異常知覚、頑痛、左視力障害、左手指及び左足運動障害等である。
4 原告(昭和九年一一月三日生)には、後遺障害として、左半身視床痛、知覚異常。左手指(三~五指)拘縮。左足関節拘縮。高次脳能障害に基づく自発性の欠如、見当識や記憶力の低下、脳CT検査で左側頭葉、前頭葉の萎縮、関節機能(股関節、足関節)等の障害があり(甲二〇)、平成一〇年一一月、自動車損害賠償責任保険金請求手続において後遺障害別等級表二級三号該当との認定を受けた。
二 争点
1 過失相殺の当否、程度
2 症状固定時期
3 損害額
三 争点に対する主張
1 過失相殺の当否、程度
(一) 被告
本件事故が発生した東西方向の道路(以下「本件道路」という。)は、西向き一方通行の道路であり、被告は交通標識に従って進行を許された方向に進行していたにもかかわらず、原告はこの一方通行の道路を逆走してきて本件事故に遭遇したものである。
損害の公平な分担という観点から、原告の過失は五割を下らない。
(二) 原告
本件事故の発生原因は、被告の不眠徹夜作業、過労、脇見による前方不注視と先行者との距離・間隔不十分等による故意にも匹敵する重大なる過失に起因し、原告には責められるべき過失はない。
本件道路は裏通りであって交通量も少なく、本件道路の南側にある歩道は舗装されているものの路面に凹凸があって幅も狭く、車道際には柵があることから、通常の自転車は車道を通行している。
本件道路は自動車・原動機付自転車について西行き一方通行に規制されているが、自転車の通行に関しては規制は及ばないし、自転車は軽車両であるから、原則として歩道又は路側帯と車道の区別のある道路においては車道を通行しなければならない(道交法二条八項、一一項、一七条一項)。
従って、本件道路において、自転車は車道を西方東方いずれにも通行でき、西行き一方通行規制車両である被告車に優先通行権があるものではない。
2 症状固定時期
(一) 原告
原告は、平成一〇年一一月三〇日に症状固定した。
(二) 被告
原告は、協立温泉病院に入院中の平成九年一二月一三日に症状固定した。
3 原告の損害額
(一) 原告
(1) 治療費 五一万〇三六〇円
ただし、平成一〇年七月一日から同年一一月三〇日までの間の藍野病院でのもの(右以前の治療費は被告において支払済みである。)。
(2) 将来の治療費 一七八五万八一六七円
平成一〇年一二月一日以降月額一〇万二〇七〇円の治療費を要するとして、現在原告は六四歳ゆえ、その平均余命は二二・三九年、ホフマン係数一四・五八〇〇により計算する。
102,070×12×14.5800=17,858,167
(3) 入院諸費用及び雑費 一七七万二七七〇円
ただし、平成一〇年三月三日から平成一一年一〇月三一日までの藍野病院でのもの(右以前の費用は被告において支払済みである。)。
(4) 将来の入院費用及び雑費 二六六二万四八七一円
藍野病院における実額一日あたり五一七二円の割合を基礎として、平成一一年一一月一日から、原告の前記平均余命二一・七五年間、ホフマン係数一四・一〇三八により計算する。
5,172×365×14.1038=26,624,871
(5) 休業損害 六九三万〇八四〇円
原告は、事故当時共働きの長男夫婦とその二人の子らと同居して、その家事一切を行っていた家事従事者であったので、平成八年度賃金センサスの、女子労働者学歴計六〇歳から六四歳の年齢別平均賃金、年額三〇一万一九〇〇円(日額八二五一円、一円未満切り捨て)により、平成八年八月一三日から同一〇年一一月三〇日までの八四〇日間の休業損害を計算する。
8,251×840=6,930,840
(6) 後遺障害による逸失利益 二一九二万一二一〇円
原告は、後遺障害により労働能力を一〇〇パーセント喪失した。症状固定時(平成一〇年一一月一六日)に原告は六四歳なので、勤労可能年数を九年(ホフマン係数は、七・二七八二)とし、前記平均年収を基礎としてその収入を逸失したとして計算する。
3,011,900×7.2782=21,921,210
(7) 入院慰謝料 一〇〇〇万円
(8) 後遺障害慰謝料 二三五〇万円
(9) 損害填補 二五九〇万円
原告は、被告が契約していた東京海上火災保険株式会社から、自賠責後遺障害保険金の支払いを受けた。
(10) 弁護士費用 六〇〇万円
以上の合計は金八九二一万八二一八円となるところ、うち金七八四二万五五五〇円を請求する。
(二) 被告
(1) 原告は、本件事故発生当時無職の年金生活者であって、また、原告の夫は既に死亡し、子も独立しており、原告には主婦としての実体もなく、本件事故により休業損害・逸失利益が生じる余地はない。
(2) その余の損害は争う。
(3) 損害填補の点については、認める。
第三判断
一 過失相殺の当否、程度について
1 証拠(甲二、四、五、甲二六の1ないし16)によると、次のとおり認められる。
(一) 本件事故は、東西方向の本件道路を西進していた被告運転の原動機付自転車と、右道路を東進してきた原告の乗った自転車が衝突したものである。
本件道路は、車道幅員約四・七メートルの、見通し良好な、交通量の少ない道路である。車道は、西行き一方通行に規制されている。南側にだけ、幅員二・一メートルの歩道があり、車道より一五センチメートルほど高くなっている。歩道には、車道際に、ところどころ、ガードレールが設けられている。
衝突地点は深江橋のすぐ西側である。橋の両側から橋に向かって、やや上り坂になっているが、橋の向こう側が見えにくくなるほどの勾配ではない。
(二) 被告は、事故前夜の午後一〇時から当日の午前七時までのアルバイトを終えて帰宅する途中で本件事故を起こしたもので、普段よりは若干ぼんやりした状態であった。アルバイト仲間の友人二人と三台の原動機付自転車を縦に連ねて走行しており、被告はうち二番目に位置していた。被告と先頭車の車間距離は短かった。
(三) 被告は時速約三五キロメートルほどで深江橋にさしかかった際、橋のつなぎ目にできていた段差のために加害車が弾んだことに気を取られ、うつむく形となって思わずメーターの方に目を向けてしまった。
(四) 先頭車を運転者していた友人は、車道のほぼ中央を対向してくる原告の自転車を認めて、左へ避けてすれ違ったが、被告がメーターから顔を上げて前を向いたときには、先頭車との車間距離が狭かったこともあって、自転車が目前に迫っており、避けることができず、制動する間もなく、正面から衝突し、原告は後方に撥ね飛ばされ、被告も加害車とともに倒れた。
(五) 衝突地点は、深江橋の西詰めの本件道路(車道)のほぼ中央であった。
2 右事実からすると、先頭車は被害車を避けているのであって、本件事故の主たる要因は、被告が、先頭車との車間距離を十分にとらないまま、脇見をして前方への注視を怠った状態で進行した過失にあるといえる。
3 他方、被害車は、自転車である関係で、西行き一方通行の義務は課せられていないから、東向きに走行したことや車道を通行したこと自体は、過失とは言えない(道交法二条一項八号、一一号、一七条一項)が、自転車には車道の左端を通行する義務がある(道交法一八条一項本文)のであって、被害車は右義務に反して、本件道路の中央部付近を漫然と走行していたものと認められる。しかも、先頭車が被害車を避けたにもかかわらず、先頭車の真後ろにいた加害車と被害車が衝突したのは、被害車が前方から向かってくる原動機付自転車を避けようとしなかったことを示している。一方通行道路では、一方通行の規制を受ける車両は左側通行の義務が課せられておらず(道交法一七条五項一号)、車両は左側を走行するとは限らないのであるから、原告はこの道路を逆行する以上、自らの安全を守るために本件道路の左端を走行するべきであったといえる。
4 以上の双方の過失を勘案すると、本件事故の発生については、原告にも二五パーセントの過失があるものとして、その限度で過失相殺をするのが相当である。
二 原告の後遺障害と症状固定時期について
1 原告の本件事故による受傷と治療経過及び後遺障害認定の事実は前記第二の一の3のとおりである。
2 甲六ないし二〇、二一の1、2、乙二によると、原告の後遺障害のうち、四肢不全症候群、左半身の視床症候群、失語症については、平成九年一二月ころまでに症状は固定していたこと、高次脳機能障害については、早くから見当識障害、記銘力障害等が認められたが、神戸リハビリテーション病院入院(平成九年三月一四日まで)中には、声量が増加して、短時間内の日常会話が可能となり、さらに協立温泉病院入院(平成一〇年三月三日まで)中に、精神面のADLがやや向上して、ある程度改善したこと、協立温泉病院の山崎医師は、平成九年一二月一三日時点で、発動性、注意力、見当識、記銘力、病識の欠如を指摘して(特に記銘力低下は重度であるとする。)、今後の症状の改善は期待できないと診断したこと、その後、藍野病院での診療経過からは、原告の精神症状が改善したことが窺えないこと、同病院池田医師によって、平成一〇年六月二五日付けで、神経症状(右の四肢不全症候群など)の改善の見込みは乏しく、精神状態については変動があり、抑うつ状態などが強くなるとほとんど寝たきり状態に近い重篤な状態になる恐れがあると診断され、これに基づいて原告は自動車損害賠償責任保険の後遺障害認定を得たこと、右診断について、同医師は、精神症状は、病室内の短距離移動が監視下に自立して可能である状態から、殆ど寝たきりとなる状態まで、幅があること、見当識障害、記銘力障害のほかに、記銘力障害を自覚しない痴呆が主たるものであると説明していることが認められる。
3 右によると、原告の症状は、平成九年一二月一三日までに固定したものと解するのが相当である。なお、右池田医師は、原告代理人からの照会に対する回答(甲二一の1、2)において、平成一〇年一一月一六日が症状固定日であるとしているが、右日付は右回答書作成日付であって、治療による改善が見込めないという意味での症状固定日を回答したものとは解されない(そうでないと、平成一〇年六月二五日付けで後遺障害診断書を発行していることとの整合性はない。)。
三 原告の損害額について
1 治療費 五一万〇三六〇円
甲二二の1ないし4によると、平成一〇年七月一日から同年一一月三〇日までの間の藍野病院での治療費として、右金員を要したことが認められる。
なお、右治療費は、原告の症状固定後のものであり、症状改善のための費用ではないが、原告の後遺障害の症状や程度からして、原告には、このような入院療養や介護が必要と認められるから、本件事故と相当因果関係のある損害というべきである。
2 将来の治療費 一七四九万六〇〇〇円
右1項と同様、原告の後遺障害の内容程度からして、原告には終生、入院療養や介護が必要と認められる。そして、その費用見込み額は、前項認定の実額からして月額一〇万円程度を要するものと認めることができる。原告は平成一〇年一二月一日現在六四歳であり、平均余命は二二年であるから、ホフマン係数一四・五八〇〇により中間利息を控除する。
100,000×12×14.5800=17,496,000
3 入院諸費用及び雑費 一七七万二七七〇円
甲二三の1、2、三〇、三一の1ないし4によると、原告は、平成一〇年三月三日から平成一一年一〇月三一日までの間に、藍野病院に対して、老年科諸費用(オシメ、オシメカバー、タオル、パンツ、靴下、シャツ、散髪、パジャマ、電気代など)として、一七七万二七七〇円を支払ったことが認められる。右費用は、前記1、2と同様、症状固定後も、入院療養や介護が必要であることに伴う雑費として、本件事故と相当因果関係のある損害といえる。
4 将来の入院費用及び雑費 二五七三万九四三五円
前記2と同様、原告の症状から見て、原告は終生、入院療養や介護が必要と認められ、それに伴う右3同様の雑費として、本件事故と相当因果関係がある。平成一一年一一月一日以降も、原告の平均余命二一年間につき、3における実額からして、一日五〇〇〇円程度を要するものと認め、ホフマン係数一四・一〇三八により中間利息を控除する。
5,000×365×14.1038=25,739,435
5 休業損害 一七五万六九四一円
証人中網義和の証言によると、原告は平成二年に夫を亡くしたが、本件事故当時は、息子家族と同居して、共働きの息子夫婦を手伝う形で、主婦としての家事を分担し、長男の子(当時二歳)の養育にも当たっていたことが認められる。右同居が一時的のものであったとは認められない。
家事に従事する主婦の休業損害については賃金センサスの女子平均賃金をもって基礎収入として損害額を算定するのが相当であるが、原告が高齢の寡婦であり、息子夫婦が共働きであるにせよ、それを手伝う形で家事に従事していたにとどまることからすると、右平均賃金の五割とするのが相当である。
平成八年の賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者の六〇歳から六四歳の平均賃金は、年額三〇一万一九〇〇円であることは当裁判所に顕著な事実であるから、原告の基礎収入は年額一五〇万五九五〇円となる。
本件事故の発生した平成八年八月一三日から原告の症状が固定した平成九年一二月一三日までの間の一四か月間の休業損害は、次のとおりとなる。
1,505,950÷12×14=1,756,941
6 後遺障害による逸失利益 一〇九六万〇六〇五円
原告が平成一〇年一一月、後遺障害二級三号に該当するとの認定を受けたことは当事者間に争いがなく、原告の労働能力喪失率は一〇〇パーセントと認められる。
そして、症状の固定した平成九年一二月一三日時点で原告が六三歳であったことからすると、主婦としての家事労働は以後も九年程度は可能であったとするのが相当であるから、そのホフマン係数七・二七八二によって、中間利息を控除すると、後遺障害による逸失利益は次の通りとなる。
1,505,950×7.2782=10,960,605
7 入院慰謝料 三七六万円
前記認定の本件事故の態様、原告の傷害の部位・程度・入院期間、その間の治療の経緯、その他本件に現れた一切の事情を考慮すると、本件事故及びその後の入院により生じた原告の精神的損害を慰謝するには、金三七六万円をもってするのが相当である。
8 後遺障害慰謝料 二二五〇万円
前記認定の原告の後遺障害の程度からすると、原告が本件事故に起因する後遺障害によって被った精神的損害を慰謝するには、金二二五〇万円をもってするのが相当である。
9 過失相殺
以上によると、原告の本件事故により被った損害は、金八四四九万六一一一円となるところ、前記の通り二五パーセントの過失相殺をすると、原告が被告に賠償を求めうるのは、金六三三七万二〇八三円である。
10 損害填補 二五九〇万円
原告が自賠責保険から二五九〇万円を受領したことは争いがないから、これを右損害額に填補すると、残額は、三七四七万二〇八三円となる。
11 弁護士費用 三〇〇万円
原告が原告訴訟代理人に本訴の提起遂行を委任したことは顕著な事実であるところ、右認容額の他、本訴の経過等の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係にある損害と言える弁護士費用は金三〇〇万円が相当である。
四 結論
よって、原告の請求は、右合計四〇四七万二〇八三円とこれに対する事故の日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを認める限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却することとして、民訴法六一条、六四条本文、二五九条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 下司正明)
(別紙) 損害計算表